2022/11/22

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月を撮る

11月8日、屋根裏にあるベランダから、皆既月食の NATURE収録にチャレンジしました。皆既月食と同時に起こる442年ぶりの天王星食ということもあり、この日、夜空を見上げていた方も大勢いらっしゃったと思います。

日食が始まったのは19時過ぎ、日が沈む前まであった雲はいつの間にか消え、空気は澄んで、天体観測には絶好の条件でした。

しかし、これを「動画の景色」にしようとすると、何もない空間に、丸い月がぽっかりと浮かんでいるだけ。クローズアップで、欠けてゆく月の変化を切り取るしかありません。

月は想像以上に明るく、月面に「絞り」を合わせると、クレーターまではっきりと見えて、科学雑誌に載るようなリアルな月になってしまいます。「月に兎」とまでは言いませんが、これではファンタジーが入り込める余地が全くありません。

輝いている月に露出を合わせると、月蝕で欠けてゆく影の部分は、真っ黒に潰れてしまいます。別のカメラで影の部分に露出を合わせた映像を撮影し、それを後で合成しようかと思いましたが、「科学映像」になってしまうので、今回はやめました。

皆既月食では、月が完全に地球の影に入ってしまっても、真っ暗にはなりません。地球の大気で屈折した太陽光にほんのりと照らされて、月は赤銅色に変わります。

この月は、英語では blood moon と呼ばれています。旧約聖書のヨエル書に「主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変わる」という一節があるために、 blood moon は不吉なイメージを連想させると言う人もいます。

確かに、この赤い月の神秘的で妖しい美しさは、見る者を畏怖させ、非日常的な世界へと誘います。

20時半を回った頃、星のような小さな光が、赤い月の下部へと接近し、やがて月の裏側に隠れて見えなくなりました。これが天王星食でした。

442年ぶりの会合、映像はそれほどドラマチックではありませんが、月蝕と天王星蝕が重なるこの瞬間を、NATURE通信でご覧いただければと思います。








https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-nov2022-4/


実は今回、私が期待していたのは、このような映像ではありませんでした。私がイメージしていたのは、皆既月食と雲が造り出す「光と影」のドラマでしたが、残念ながらこの日、一片の雲も湧いてきませんでした。

「明日もう一度、撮ってみようよ。明日はいい雲が出そうだよ」そんなメッセージが、心のどこかに届いたような気がして、次の日も撮影することにしました。

翌日の夜空には薄雲が拡がり、早い速度で西から東へと流れていました。そしてその薄雲のベールの向こうに、十六夜の月が昇ってきました。月は赤くなりませんが、NATURE収録にはおあつらえ向きのシチュエーションです。見えない世界からのメッセージに感謝!です。

クローズアップで月を切り取ると、月の手前を雲が流れてゆきます。絞りを雲に合わせると、月は真っ白に飛んで「丸いスクリーン」になります。そこに雲のシルエットが映し出され、そのシルエットに月の表面が浮かび上がります。

流れる雲は、形を変えて刻々と変化します。雲を月面に映し出す太陽の光、太陽の光を反射し雲を透過する月の光。二つの光が交差して、次々と神秘的で幻想的な「生命のリズム」をつくり出してゆきます。

魂が震えるようなシーンとの出会いです。撮影していることを忘れてひたすらモニターに見入ってしまいました。

その時「回向遍照」という言葉が心に浮かんできました。「自分の内面を光で照らし、自分の中にある答えを求める」という「禅」の言葉は、今回のシーンにぴったりのような気がしました。

月の光が透明で優しいのは、自ら発光して輝くことなく、他からもらった光を人知れず返そうとするからなのかもしれません。

「若い頃には、自分を輝かせることばかり考えて生きてきたけれど、残りの人生は、自分の内面を照らして、これまで与えてもらった光を、周りの人達に返してゆきたい」 十六夜の月は、私の心の奥にあるそんな想いを照らし出してくれました。

今回、狙った皆既月食では思ったようなシーンが撮れませんでしたが、次の日に、十六夜の月と流れる雲がつくり出す「魂を揺り起こすような風景」に出会うことができました。

「人の行く裏に道あり花の山」またひとつ、自然からNATURE撮影の極意を教えてもらったような気がします。

こちらの映像も、ぜひ併せてご覧ください。











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