2022/02/12

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老いは魂を熟成させる




寒波が襲来して大雪で通行が難しくなったため、今回のロケは、伊豆半島を南に向かうことにしました。

天城山の麓にある河津七滝。伊豆踊り子で知られた観光スポットらしいのですが、これまで訪れたことがありませんでした。滝の上にある駐車場に車を止め、滝まで150メートルという道標につられて、収録機材を担いで軽い気持ちで歩き始めました。

少し行くと、木製の階段が折り重なって延々と下へと伸びています。どうやら150メートルというのは、水平方向ではなく垂直方向だったようです。

途中で足の筋肉が悲鳴を上げ始めました。一瞬、帰りのことが頭をかすめましたが、どんな風景に出会えるのだろうという期待感には抗えず、ひたすら滝を目指しました。

出会った風景は期待を裏切りませんでした。清冽な流れに揺れる木々のシルエット、木漏れ日の浮光と淵をめぐる枯葉など、滝の風景が造り出す「生命のリズム」を夢中で収録しているうちに、2時間が経過していました。

NATURE通信 Jan.2022  落葉と浮光
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-jan2022-4/


帰り道で待っていたのは、150メートル?の階段でした。i-phone のヘルスケアアプリで見ると、降りてきた階段は37階と表示されていました。この階段を10kg の機材を担いで登らなければなりません。

休み休み行けば何とかなると思っていたのですが、半分ほど昇ったあたりで足の筋肉が痙攣し、呼吸が苦しくなって踊り場に倒れ込んでしまいました。

後から昇ってきた若いカップルが、颯爽と階段を上がっていきます。その姿を目で追いながら、自分が、すっかり老人になってしまったことを痛感しました。




「老い」は残酷です。これまで当たり前のように出来たことが出来なくなってしまいます。肉体の衰えと共に、感覚や知覚も衰えます。人の名前が思い出せなくなり、知っているはずの知識や記憶が剥がれ落ちてゆきます。

これはまだ始まりで、これからもっといろいろなものを失ってゆくことになるでしょう。いくらあがいてみても、この宿命から逃れることはできません。

老いを受け入れるのは、辛く寂しいことです。しかし、自力だけでは生きてゆけなくなってしまった情けない自分の姿を受け入れると、そこには、若い頃には感じることができなかった不思議な心境が開けてきます。

まだ動いてくれている肉体が、とても愛おしく感じられます。これまで自分を支えてくれていた人たちへの感謝の想いが湧いてきます。そして、見えない世界に生かされていることを素直に感じることができます。

「老い」が、肉体の衰えと引き換えに、魂を目覚めさせ熟成させてくれる「神様の贈り物」のように思えてくるのです。

樹々の葉は、枯れ落ちる前に色鮮やかに紅葉し、大地に輝きを放ちます。夕日は、沈む前に深紅に輝き、地上に深々とシルエットを造り出します。

自然は、人生が終わりを迎える前に、輝きに満ちた時間が訪れることを教えてくれているように感じます。

「老い」は、内宇宙への扉を開いてくれます。もう一度、これまでの人生を振り返る少し長い「心の旅」に出てみたい。階段に腰掛けて老いた体を休めている間に、そんな想いが湧いてきました。

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